リュド
2023-12-14 22:49:02
4524文字
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酔眼の独り口

【頭割り番外編 展示作品】
光の戦士♂︎+フレイ 短編小説/全年齢
※暗黒騎士ジョブクエスト(Lv70まで)の内容を含みます。
※ヒカセンは自機(オスラゼラ)想定ですが、文中に名前や種族の描写自体はありません。

眠れない夜にお酒の力を借りるヒカセンとフレイくんのお話。

 傾けたグラスの中から琥珀の色が消え、氷替わりのアイスシャードがからりと音を立てた。喉を過ぎていく液体は具合よく冷やされているが、その後に残るのはじんわりと淡く焼けつくような感覚だ。
 男は口からグラスを離し、机の上におろした。
……ふう」
 吐息がわずかに酒気を帯び始めている。今こうして1人寝酒を進めている目的を考えれば重畳の経過なのだろう。生憎お世辞にも良い気分とは言えないけれど。

 酒に酔った時、どうなるかは人によって様々だ。機嫌よく歌い出したり、普段は胸の内に秘めている思いを吐露しながらさめざめと涙を零したり、近くにいる者にしなだれかかって絡んだり。中には顔色ひとつ変えずにいつまででも飲み続けていられる強者もいるだろう。
 かくいう彼はというと、残念ながらさほど酒には強くなかった。嗜む程度ではあるし、仲間内での酒の席に参加するのもやぶさかではない。しかし調子に乗って勧められるまま飲み続けてしまうと、周りが次第に羽化登仙になり始める頃にはすっかり寝入ってしまうのだ。そして大抵そのまま翌朝まで目覚めない。そんな体質なものだから、普段外で酒を飲む時は量や度数に細心の注意をはらい、無事自分の足で帰路につけるよう心がけていた。
 そんな彼は今、いつだったか何がしかの報酬として受け取ったまましまい込まれていた安酒を引っ張り出し、冷やすばかりでろくに割りもせず無心で飲み進めている。かつてしっかりと確認したであろう度数も、もう忘れてしまった。今更ラベルを確認する気も起こらなかったが、喉にちりちりと残る感覚からして決して低くはないだろう。現にまだ片手でゆうに数えられる程度の杯数しか飲んでいないというのに、既に彼の意識にはぼんやりと靄がかかり始めていた。
 (もう一息、か)
 頭の片隅でそんなことを思いながら。空いた片手に酒瓶を取り、ゆっくりと傾ける。とくとくと小気味良い音が立ち、グラスの中は再び琥珀の色で満たされた。月明かりに鈍く煌めきながら波打つそれに口を付け、少しずつ、少しずつ嚥下していく。きっともうすぐ、水底に引きずり込まれるように、この意識は昏い眠りへと落ちていくことだろう────それこそが、彼の目的だった。

 「お味はいかがですか?」

 背後から不意にそんな声が聞こえて、男は断続的に続く嚥下を止めた。さして驚きもしなかったのは、男にとって“彼”の声が最も──普段意識して聞くことがない分、己の声よりも──身近で、馴染みあるものだったからだ。もっとも、ある意味ではその声も、男にとっては『己の声』と言えるのだろうけれど。酔いで鈍った頭の中でさえ、“彼”───影身フレイの声だけはやけにはっきりと響いていた。
……こんな時じゃなければ、もっと美味かったかもしれないな」
 飲みかけのグラスを揺らしながらそう答える。吐き出したいほど不味いということはなかったが、かといって別段美味とも言い難い酒だ。もとよりこれが寂れた大衆酒場や鉱山労働者たち等の間で飲まれるような安い酒であることは知っていたし、単に酔いたいだけなら特に不足はなかった。ただ、これが深夜に部屋で1人、酔って眠るためだけに流し込むのではなく────そう、例えるなら、冒険者ギルドで無事にひと仕事終えた後。その場にいた行きずりの同業者と1杯交わすことになり、互いにぽつぽつと労いの言葉を並べながら、まあお互い今日も命があって幸運だったと軽く杯をさし上げるようなものだったなら。少なくとも今この時よりは、幾分悪くない味に感じるのではないかとも思えた。それほどまでに今の自分の状態は、純粋に酒を楽しむには不向きだという自覚が彼にはあった。

 「まあ、それはそうでしょうね。……しかもそれ、割らずにそのまま飲んでるじゃないですか。君、あまり酒精が強い味は得意じゃないでしょう」
「そうだな。でも今回は味わうのが目的じゃないから。……お前も、わかっていたから今出てきたんだろう」
……………
 はあ、とわざとらしい溜め息が月明かりの届かない部屋の闇に混じる。単に飲みすぎを案じているだけならば、フレイはもっと早くに声をかけてきていただろう。それをせずに敢えて彼の酔いがまわり始めるまで待っていたのは、普段、何かを口にする時にはしっかりと味わうことを疎かにしない彼が、こうして粗雑に酒の力を借りようとしている理由を知っていたからに他ならない。
 何より、フレイは主たる男が胸中に秘める痛みや苦しみ──負の感情そのものなのだ。眠りを妨げるほど彼の頭の中で渦巻いているそれに、気が付かないはずがなかった。
 舌に残るアルコールの味を逃がすように深く息を吐きながら、男は力無く目を伏せる。

 男にとってそれらは、例えるならガラスの容器にしまい込んであるようなものだった。時折外から眺めてみたり、ガラス越しにそっと指でなぞってみたりもする。けれど取り出して直接触れるにはどうにも躊躇いが拭えず、かといって捨ててしまうのはもっと恐ろしい────そんな『記憶』たちだ。
 救えなかった誰かの言葉。
 耳を劈く悲痛な叫び。
 手にかけた命の消えていく熱。
 数え切れないほどに積もったそれらは、普段は静かにガラスの内に収まっているが、ふとした時に零れ落ちてくるのだ。嗚呼そんなこともあった、と拾い上げて再び容器に戻せば済むこともあれば、それこそ何かの拍子に容器の蓋が外れてしまったかの如く、次々と溢れ出しては渦となって思考を呑み込んでいくことすらあった。
 それが今だ。
 記憶の濁流は際限なく溢れ続け、もはや自力では逃れられないほどに勢いを増していた。何がきっかけとなったのか、そもそも何かきっかけがあったのかすらも、こうなってはもうわからない。ただ次々に浮かぶ苦い記憶の波に揉まれ、身悶えして叫び出したくなるのをじっと堪えるばかりだった。
 呼吸に混ぜて吐き捨てるように、男はわずかに酒焼けた声を落とす。
「言葉が……声が、止まない。横になって目を閉じていても、気晴らしに軽く外を歩いてみても、ずっとだ。ここまで酷いのは珍しい。こうなるともう、眠れないんだ。だから」

 だから、酒の力を借りようとした。
 酔いに任せていれば、そのうち眠ってしまえる。幸いここは自分の部屋で、『自分』以外に誰もいない。どんなに深く寝入ってしまおうと誰にも迷惑はかからない。強いて言うなら翌朝の自分に鈍い頭痛や倦怠感、その他二日酔いに見られる症状をいくつか押し付けてしまうくらいだ。
 それでも今は、眠りたかった。意識も記憶も、すべてを強引に押しやって、ガラスの容器に蓋をしてしまいたかった。一度は確かに向き合って飲み込んだはずのそれらが、再び痛みを伴って牙を剥いてくるのは────結局はどれも、己の中で納得した“つもり”になっているだけで。本当はろくに受け止めることもできずにただ容器の中に押し込めて、もう過ぎたことだと知らないふりをしているだけに過ぎないのではないか。本当は自分は、何一つとして飲み下せてなどいないのではないか。そんな忸怩たる思いに苛まれ、耐え難かったのだ。
(情けないな)
 悲しみも苦しみも心に連れて歩むのだと、あの日確かに誓ったというのに。こんな様ではフレイに申し訳が立たない。そんなばつの悪さから、男は未だ彼の方を振り向けずにいた。

「逆だと思いますよ、僕は」

 主の心をそっくり読み取ったように、背後の影が語り出す。諭すように芯の通ったその声は、しかしどこか優しげだ。
「記憶に胸が痛むのは、受け入れられていないからじゃない。忘れぬようにと刻み込んで、傷として残したからこそ、痛いんだ。本当にただ見て見ぬふりをしていたなら、いつかは本当に気付けなくなって、消えてしまう。……あの時、僕がそう恐れたみたいに」
 あの時───雪の降りしきるホワイトブリムで、全身全霊を傾けて男と影がぶつかり合った日。その身に残った最後の力を振り絞り、男が幾度も心の闇に封じてきた痛みを届けようとした影身。この声を聞いて、思い知って、目を逸らさないで───そんな切実でいたましい叫びを、男は今でも覚えている。
「その痛みは、君がその記憶を殺さずに、心の中で生かし続けている証。まったく、律儀というか強欲というか、不器用というか……酸いも甘いも全部捨てずに抱え込もうとする癖は、我ながら本当にどうかと思いますよ」
 聞き馴染みのある呆れた調子の声が、ゆっくりと近づいてくる気配。
 やがて男の広い背に、確かな熱を持たない不思議な温度が触れた。

「それでも、そうやってあらゆることを受け止めて、時に痛みでもがきながらも、君は前に進んでいく。そんな君だから僕は、放っておけなかったし……共にこの先を歩みたいって、思ったんだ」

 グラスを持つ腕をなぞるように、背後から篭手ヴァンブレイスを纏う手の形をした影が差し込まれる。やがて男の手元まで到達した影は、いたずらにグラスの縁を指で弾いた。キン、と短い音が部屋の空気をわずかに揺らす。
「それを飲んだら、もうベッドに戻ってください。明日の君が頭痛と共に目覚めるであろうことは、流石にどうにもしてあげられないけど……せめて悪夢に魘されたりしないように、僕も協力しますから」
 男の視界から影の腕が去っていく。それを目で追うようにゆっくりと振り向けば、闇の中で淡く、けれど確かな光をたたえたフレイの瞳と視線が重なった。いつ見ても月のようだ、と男は思う。
「やっとこっちを見てくれましたね。……ほら、これ以上明日に響かせないためにも、早めに飲み終えて。君、もうだいぶ眠たそうな目をしてますよ」
 そう言ってフレイは双月の目を細める。重たい瞼越しに見るそれはどこか微睡んでいるようにも思えて、男は不思議と鏡を見ているような気分になった。“フレイ・ミスト”の形をとっている今の彼は、主とは全く異なる姿であるというのに。これも酔いのせいか、と男は少しだけ口元を緩めた。

「ありがとう」
 ぼやけた意識でそれだけ伝えると、フレイはゆっくりと瞬きをひとつ返した。男は机に向き直り、半分ほど中身の残っているグラスを再び手に取る。頭の中を巡る記憶たちはまだ鳴りを潜めてはくれなかったが、少なくともその痛みに不甲斐なさを感じることはもうなかった。

……確かに、この人は傷つきすぎだ。でも、それは意味なき痛みじゃない。』

 かつてのフレイの言葉が、ふとよみがえる。
 他ならぬ傷の化身たる彼が、哀しみを拒み、降りかかる辛苦を憂いて───されど前へと進み続ける中で刻まれたものには、何一つ無駄などなかったと。そう言ってくれたことに、いたく救われた気がしたものだ。彼もまた、主が被る痛みを嫌いながらも、その痕まで否定することはせず後生大事に抱えていたらしい。存外お互い様かもしれないと、背後の彼に気づかれないよう男は1人笑んだ。

 ぐいとグラスを呷り、残った酒を一息に流し込む。
 最後の一口は少しだけ、甘いような気がした。