よつもり
2023-12-13 13:47:38
2396文字
Public 映画・本のはなし
 

うみべのストーブ



「うみべのストーブ」がなかなか面白かったんですよ。すべてにおいての解像度がめちゃ低い男の存在の哀しみが描かれているなと思って。

スミオくんって多分、人を愛するにはどうしたらいいか? というその具体的な方法が分かっていないと思うんです。
彼氏彼女としてお付き合いしている分には、それっぽい恋人らしいこと例えばセックスするだとか、手を繋ぐだとか、一緒にお出かけするだとか。そういうありきたりな「恋人らしい」をこなしていけば「愛している」ができていることになっていたんじゃないかと。
でも、一緒に暮らし始めるとそれがうまくいかなくなる。だって一緒に生活をする中での「恋人らしいこと」って何をすればいいかわからないから。
正解の「恋人らしいこと」がわからないから、えっちゃんの機嫌を伺って、なにがいいのかなと考えているうちにスミオもきっとえっちゃんの機嫌を伺うことにストレスを感じてきて、えっちゃんになにか言われても返事をするのが億劫で、でもえっちゃんの機嫌がより悪くなっていって爆発されるのも面倒で。そうだ、今日はえっちゃんの誕生日だからケーキを買ってお祝いすれば、えっちゃんはきっと喜んでくれるし機嫌を直してくれるんじゃないか。誕生日にケーキを買うのは「恋人らしい」ことなので、多分間違いがないだろう。
と、おそらくそういう思考でスミオはおそらく安牌だろうと思っていた誕生日ケーキ作戦を実行するものの、仕事から帰ってきた、スミオよりずっと大人のえっちゃんはスミオのそんな浅はかさはもう手に取るようにお見通しで、「浅はかだとは思っていたけれどもここまで何も考えることができないとは」と疲れちゃったんだろうなと思うわけです。
誕生日ケーキを手にしながらしょぼくれているスミオはなぜ自分が「恋人らしい」ことをしたのにそれが大外れなのかわからないし、えっちゃんの問いかけも多分「なんかえっちゃんが怖い顔して難しいことを言っている」というくらいの解像度で頭に入っていない。そしてどうしてえっちゃんが自分を捨てて出て行ってしまったのかも致命的に分かっていない。

一緒に住むということはお互いの生命を保障し合うことだとかお互いの存在への肯定を与え合うことだと私は思っています。
スミオくんはぼんやりと恋人の延長上としての暮らしを考えていたけれども、それはきっとテレビドラマの中のカップルのような、なんとなく上っ面のイメージだけの恋人同士の生活の様子だったんだろうなと。
けれどもえっちゃんの生活に対する考えはもっとしっかりしていたし、えっちゃんはともに生活することでスミオと心身ともに支え合いたかった。
多分なのですが、スミオの気弱な部分とか、生活能力がなさそうな部分も含めて、えっちゃんは受け入れて同棲を始めたのではないかなと思います。スミオの優しい部分優しいのかそれとも解像度が低いためにえっちゃんの話を理解できず流していただけだったのか分からないけれども、少なくともえっちゃんはそれをスミオの長所だと捉えてその部分を信頼していた。
けれどもスミオはすべてにおいて解像度が低い男なので、えっちゃんの覚悟も努力も信頼も全くわからない。

ストーブに誘われて海に行って、「えっちゃんはこれを見せようとしてくれたのかな」「同じものをみて 同じようにきれいだと 思いたかったのかも」と言うけれども、えっちゃんがスミオを無理になったのは海の件ではなく、解像度が低いスミオのその解像度の低さなわけです。
えっちゃんは週に一度ストーブのホコリを掃除していた。えっちゃんはそうすることで自分とスミオの住む家を綺麗に保とうという現実的な行動を取っていた。けれどもスミオはそれがえっちゃんのスミオへの「愛」であることは全く理解できない。なぜなら解像度が低いので。
そのようなわけで解像度が低い男はどうして自分が捨てられたのかも分からず、ストーブからの誘いがあったとはいえ、空虚ゆえに「失恋したら海に行く」というベッタベタのベタをやらかし、自分が取り返しのつかないところまで失望されているということもよく理解しないまま元彼女に「海に行きませんか」「ずっと待ってます」という連絡を送り付ける。
自分の何がいけなかったのかもよくわからないまま、海を見ていたら思いついた感傷をそのまま口に出して、えっちゃんの気持ちを分かったような気になる。
というかスミオは途中でえっちゃんを傷つけることが分かっていたのにそのままの自分を続行することを選択していて、その「何もしない」を実行しているので罪深いのです。それはえっちゃんから得ていた信頼への最大級の裏切りで、そういう裏切りをしたからこそえっちゃんから失望されているわけですが、それも理解せずに「えっちゃんは俺のこと好きじゃなくなったのかな」などと悠長なことを言っていられるのがなんともはや、救いようがない。ここまできてようやくその程度のことしか考えることができていない。
この断絶の深さたるや。

海という場の、なんだか開けていて力強くていい感じの自然というシチュエーションと、ストーブのそれなりにポエティックなまとめによって感動的に見えるラストも、実際としてスミオはどんな教訓も得ることができていないという。なかなかに空虚極まっているところが面白かったです。

スミオは救いようもないほど解像度が低く、自分の解像度が低いということすら気づけていない哀しい男で、
えっちゃんはそういう男に優しさを見い出し愛することができて、けれども断絶があるということがはっきりと分かったら見切りをつける賢さと強さがある立派な女だという。そういう話だと思いました。えっちゃんは幸せになれ。