『黒田さん』と呼ぶ度に、なんだか懐かしい気持ちになる。出会ったばかりの頃、父親になったと言われた頃はそう呼んでいたからだろう。初めて『父さん』と呼んだ時、あの人はどんな顔をしていたっけ。きっと驚いただろうな。彼は厳しい人ではあるが、同時に優しい人だから。
どうして父さんとの食事中に、こんなことを考えているのだろう。他の三人が『黒田さん』の話をしていたから? あの刑事が『コネを使った』なんて言ったから? それとも……今、真髄に触れるような質問をしようとしたから?
『10年前になにがあったのか』なんて、今更すぎる問いかけだ。それに今は、進行形で大きな事件を追っている。後回しにされて当然、してもしなくても良い話だった。
…だから、しないことにした。この幸せな日常に、亀裂は必要ない。オレの願いは、復讐よりも共存だから。ここ最近にしては珍しく赤星さんがいない、二人っきりの晩御飯。
人間の感情は、一般的には六通りあることになっているらしい。本に記載されていた情報曰く、『喜』『怒』『哀』『楽』『愛』『憎』の六つ。オレはそれを聞いて、何とも悔しい気分になった。オレは『愛』を大切にしたいのに、過去の『憎』を捨てきれていないから。
『黒田さん』と呼ぶ度に、過ぎたモノを思い出す。今オレの持つ『愛』が、昔オレに刻まれた『憎』に脅かされる。だからオレははやく、もっと立派になりたかった。そうすればきっと、何処で『父さん』と呼んでも許されるから。
オレの好物を並べて、父さんは優しく微笑む。口下手だとしょげる父さんに、それでも良いとオレが長く話す。次の休日には約束通り、ケーキを作ろうとオレが笑う。オレの要望を聞いた父さんは、フルーツタルトを提案する。赤星さんなら詳しいだろうと、父さんとオレは思案する。これからの未来を想って、二人で語る。
そんな、ありきたりで大切な時間。オレにとっての宝物。オレにとっての幸福。当たり前を噛み締めて、『父さん』と馴染んだ呼び名を口にする。呼ばれた彼は、嬉しそうに『百樹』と答えた。
嗚呼、今日も良い日だった。明日も素敵な日になるだろう。
足元に咲いた黒百合 を踏み躙って、オレは思いっきり笑った。
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