【その後の話】

『彼方からの君に捧ぐ』現行未通過×

ミナリと誰かの小さな後日談

コクーンポリス建設予定地、そこから近い場所。小さなカフェの角で、自分未鳴 圭一は、もう一人の男と会話していた。どうにも頼んだサイダーには口を付けられず、カラカラとグラスを揺らして氷を鳴らしている。


「へぇ~! アンタ、漫画家なのか!」

「そ、そんな期待してるようなスゴい人じゃないですよ? まだまだ新人だし

「いやいや、謙遜すんなって! 漫画描くのって大変なんだろ? もっと誇れよ!」


キラキラとした目で、男はこちらを見つめている。彼の名は、ユカワ エイスケ。周囲には名字と名前の頭文字をとって、ユエと呼ばれているらしい。某大学の教授で、次世代型都市コクーンポリスの設計者だ。


『ユエ』の青く綺麗なスカイブルーは、ここに存在しない。雲一つない青空を切り取ったような瞳は、”あの時のあの場所”で伏せられたのだから。

記憶のない彼に、自分ともう一人は拉致された。記憶のない彼に、突然結婚を迫られた。記憶のない彼に、自分は『スカイ』と名付けた。記憶のない彼に、料理を振る舞って貰った。記憶のない彼に、壊れたパソコンを修理して貰った。
記憶のない彼は、褒めながら頭を撫でると驚いていた。その感触はとっくに手から離れていて、思い出すことができない。


そして、選択を迫られたあの場所で。『人類の未来』と『自分の未来』を乗せた、天秤を前にして。
『母』になるのは、『生贄』になるのは怖かった。永遠の英雄とか、人類の救済とか、地球の未来なんてものに、興味はなかったから。
だけど、それよりもずっと、『ユエ』の夢を潰すのはイヤだったのだ。

なのに自分は、彼の夢を踏みにじった。思いきり、容赦なく。
みっともなく泣きながら、情けなく喚きながら。散々迷ったあげくに、自分は彼を確かに否定した。ずるずると引き摺られながら、あの場を離れて逃げ出した。謝罪と嗚咽を口から溢して、名前のつけられない感情で涙を流して。

泣いて、泣いて、泣き続けて、ようやく涙は枯れた。


婚約破棄、ってやつだな』


追いかけてきた彼が、自分一人を狙うことはなかった。きっとそれは、単なる偶然なのだろうけど。あの時彼は、自分が刃を向けたことに驚いた。『彼だけは協力してくれる』と、そんな風に思っていたのだろうか。だとしたら自分は、とんでもないコウモリ野郎だ。どんなに酷い罵倒をされても、仕方がないだろう。

最期の静かな絶望の顔は、あの髪を撫でた感触よりも強くしっかりと記憶に残っている。今も鮮やかに思い出せる、倒れ伏した彼の表情を。あの、”今”の空のような瞳を。あの、”未来”の空のような血を流して。彼は、『スカイ』だった彼は、『ユエ』は……


ユエ。実はボクにも、大きな夢があります」

「へぇ、アンタにも! どんな夢なんだ?」


身を乗り出して、彼は問いかける。その瞳のどこにも、狂気は存在しない。純粋な好奇心に染まって、美しく輝いている。


「ボクは何年も先それでこそ千年以上先にも残るような、スゴいマンガを描いてみせます。未来の彼方でも読まれるような、人を楽しませるマンガを」


カランと、グラスの氷が溶けて揺れる。知らないうちに、グラスをおおう手に力が入っていたようだ。


「すげー夢じゃん! あ、じゃあさ先生! 俺の作ったコクーンポリスに、先生の漫画を置かせてくれよ! コクーンポリスは、俺が千年先も残すからさ!」


楽しそうに彼は笑う、『ユエ』とはとても似ていない顔で。子供のようにユエが笑う、どこか『スカイ』に通じる顔で。
ああ、確かに彼は”ユエ”なのだと。否応なしに認識させられて、泣きそうになる。それでももう、自分は泣けない。あんなに泣いたのだ、泣くわけにはいかない。


捧げる。

今、”この瞬間”に。

今、”彼方の君”に。




「ありがとう」