小雨
2023-12-06 18:18:04
6719文字
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Float Down There 2



 こっちだ、と道を示すスタースクリームについていき、サンダークラッカーはそろそろと夜闇の屋上を歩いて行く。隣りにいるスカイワープをちらりと見ると、やはり彼も少し緊張した顔で黙って下を見て歩いていた。この中で一番怖がりなのは、スカイワープなのだ。少なくとも、こういうオカルトや怪談の類に関してはそうだった。ひょっとしたら戦場での恐怖とか、物理的な暴力への恐れとか、そういうものとなるとまた話は変わるのかもしれない。今でこそスタースクリームはこうして平然と死体があるかもしれない場所に向かっているけれども、力の強い相手に立ち向かうとき最初に臆病風を吹かすのはスタースクリームだったし、そういう時に無謀なほど迷いなく跳びかかっていくのがスカイワープだった。サンダークラッカーはそういうときには手出しはせずに眺めているだけだ。それでも知恵を絞らなければならない時には、前に立って彼らを引っ張る役目はサンダークラッカーのものだった。状況によって、彼らの力関係はくるくると入れ替わった。まるで車輪のように。
「こいつが例のやつだ」
 スタースクリームの声にはっとして顔を上げると、目の前には大きくそびえる円柱型の黒いシルエットがぼんやりと闇の中に浮かび上がっていた。
「そこのハシゴの先に、上蓋がある。そこを開けば中が覗けるってわけだ。さ、見てみようぜ」
……
 サンダークラッカーは思わずスカイワープの方を見る。スカイワープはその気配を察してサンダークラッカーに顔を向けた。それから顎で貯水タンクを指し示して言った。
「お前らの問題だろ、これは。お前がいけよ、サンダークラッカー」
 要するに、自分はそんなところを覗きこむのは御免だ、ということだろう。それも仕方ない。そもそも、スタースクリームの言葉に異議を唱えたのだって、サンダークラッカーなのだから。
 まるで巨大な化け物のようにそびえる黒い円柱に、サンダークラッカーはそろそろと近寄っていく。気が進まないのに、足は止まらない。中を覗くのが嫌だと思うのと同じくらい、ふたりに臆病者だと思われるのがたまらなく嫌だった。
 梯子を登る。足を降ろすたびに、かん、かん、と硬質な音がする。てっぺんまで着くと、サンダークラッカーは貯水タンク上部に取り付けられたマンホールを眺める。サンダークラッカーから見て斜めに上向いたそれは縦に長い楕円形をしていて、右側にハンドルを備えている。そこを回せば貯水槽の蓋が開くのだ。セーフティロックはない。誰でも開くことができる。だから、あんな怪談が生まれて、訓練所の子供達の中に広がっていったのだろうか。少し遅れて、スタースクリームが梯子を登ってきた。サンダークラッカーは、スカイワープにも登ってくるよう声をかけようとしたが、その前にスタースクリームが上蓋の横を指差した。
「それを回せ」
……いちいち指図すんなよ」
 やはり、本当は気が進まないのを、彼は見抜いているのだろうか? サンダークラッカーは小さくため息をつきながら、スカイワープを呼ぶのを諦めてハンドルを握り、グッと力を込めた。
 キイ、キイ、と、回すたびに油の切れた金属のこすれる不快な音がする。何度も響くその音と共に、金属製の分厚い上蓋は、少しずつ内側に向かって開いていく。中が見えるほど上蓋が動いた時には、サンダークラッカーはヘトヘトになってしまっていた。
「よしよし、ごくろう。さぁ、やっとお楽しみの時間だ」
 スタースクリームが、先を譲ってやるとでも言うようにサンダークラッカーをまっすぐ見つめている。ある種挑戦的な色を含んだその目つきに、サンダークラッカーは逆らえなかった。ぽっかりと開いた楕円形の穴。光の差さないそこを見つめていると、中に隠された何かを想像して足がすくみそうになる。しかし、サンダークラッカーはぎゅっと手を握って、いや、正しいのは自分なのだ、ここには何もありはしないんだと力を込めて自分に言い聞かせる。闇はパラノイアを誘発する。それに惑わされているだけだ。サンダークラッカーは冷静さを取り戻すと、そっと身を乗り出して上蓋の縁に手をかけながら中を覗き込んだ。
 思ったより中には水が入っていなかった。全長の五分の一程度しか内部は満たされていない。多分、中に立つことだって可能だろう。その場合、サンダークラッカーなら顔を出すのが精々だろうが。サンダークラッカーが機体に内蔵されたライトを使うと、その光を受けて内壁は鈍い光を照り返す。その反射光には湿った感じはしないので、この水量になってから長い時間が経過していることを示唆していた。全体を軽く見渡してから、サンダークラッカーは内心ホッとする。ざっと見た感じ、何も無い。やはり正しかったのは自分なのだ。例えようもない安堵感に、サンダークラッカーは少し肩の力が抜けるのを感じる。一応もう一度底を丁寧に眺めたが、やはり何も無いように見えた。そうなのだ。こんなところに、閉じ込められたまま死んだ亡骸などありはしないのだ。
 そのとき、スタースクリームがサンダークラッカーの背後に立って、身をかがめる気配がした。彼もまた中を覗き込んでいるのだろう。
「ほら、やっぱり何も無いじゃないか」
 サンダークラッカーはスタースクリームに向かってそう言った。けれども、スタースクリームが口にしたのは、どういうわけか全然別の話題だった。
「ここの貯水タンクって、一年に一度掃除する決まりになってるらしい。だが、今年の清掃って、もう昨日終わったんだよな。だからあと一年はこの中を覗き込もうなんて考える奴は誰もいないわけだ」
……何の話だ?」
 サンダークラッカーは振り返ろうとしたが、その時スタースクリームがサンダークラッカーの肩にそっと手を置いてその動きを妨げた。
「さっきのセキュリティログの話、少しばかり嘘があってな。別に何年も行方不明のままのやつなんていない。ちゃんと死んだら事故死って報告がアイアコンに送られてたよ。スクラップ場に一五年も輝くシグナルなんてないし、この貯水タンクにも日がな一日張り付いてるシグナルもないのさ。そもそも、このタンクって構造上あらゆる信号を遮断してしまうみたいでな、中に誰か入ったとしても気付きようがないだろうな」
「スタースクリーム……?」
 何かが変だ。
 サンダークラッカーは薄々そう感じ始めていた。目の前では闇を湛える黒い水面がサンダークラッカーの光を照り返している。そして後ろには、妙に穏やかな声で変な話をするスタースクリーム。その間に挟まれて、サンダークラッカーはスパークにさざ波がたつように胸騒ぎを覚え始めた。
「ログによると、どうもガキが貯水タンクに閉じ込められたこと自体は本当にあったみたいだったが。その時は一週間で見つかったって、ログにあった。でも、見つけ出されたあと、そいつはしばらく幻覚や幻聴に苦しんだそうだ。システムを再起動してもダメ。ブレインサーキットの回路パーツを変えてもダメ。心の問題だったからな。暗闇にずっと閉じ込められてて、イかれちまったんだ。一ヶ月もかかったらしいぜ、そいつが元に戻るまで」
……なぜ今その話をするんだ?」
 循環オイルを機体に送る中枢機関がどきどきと動きを早めて、サンダークラッカーはどんどん不安な気持ちになっていった。なぜ、スタースクリームは、この瞬間、サンダークラッカーが貯水槽の入り口でかがみこんでいるこのタイミングで、こんな話を始めたのだろうか。それにはどんな意図があるのだろう。背後でスタースクリームがくすっと笑う気配がした。サンダークラッカーは動けなかった。肩に感じるスタースクリームの手のひらの重みを感じながら、じっと彼の話に聞き入る他何もできなかった。
「感覚遮断、っていうらしい。そういうの。不幸なことに、その感覚遮断を行うにはこの貯水タンクの中ってのは正に理想的な環境だったわけだ。閉鎖された闇の中ぷかぷかと水の中に浮かぶことで、視覚も聴覚も触覚も平衡感覚も、何もかも切り離されちまう。何もない感覚、ってどういうものなんだろうな。想像もできねえが……ま、気が狂うくらい耐え難いってことだけは確かだな」
 スタースクリームの声は平穏そのもので、何かを強要したり脅すような含意など全く感じられない。なのに、サンダークラッカーは動けなかった。すぐ目の前の闇から目をそらすことすらできない。肩には相変わらずスタースクリームの腕が置かれたままだった。
 スタースクリームがその気になれば、ほんの少し腕に力を入れて前に押し出すだけで、サンダークラッカーを落とせるだろう。闇の中へ。もしそうなれば、まだ飛ぶことのできないサンダークラッカーでは抜け出すことができない。貯水タンクの底から上がってこられない。
「なあ、サンダークラッカー……そういう状況に置かれたやつが、どういう過程をたどって少しずつ壊れていくのか気にならないか? 俺はすごく、興味、あるんだよなぁ」
……ッ」
 ぐい、と肩を押された。声も出なかった。体が傾ぐ。落ちる、と思った。ゆっくりと、重心がずれていくのを感じた。落ちる。闇。ゆらりと揺らめく液状の闇が、腕を広げて待っている……
 が、そのとき腰のあたりに素早く腕が回されて、サンダークラッカーの体が支えられた。
……なーんて、びっくりしたか?」
 落ちかけた一瞬と同じくらいのわずかな時間であっさりとサンダークラッカーはスタースクリームによって貯水タンクの上蓋から引き戻された。ぐいっと力強く引かれたせいで、サンダークラッカーはがしゃんと尻餅をつく。そう、決して怖くて腰が抜けたとかそういうわけではない。サンダークラッカーは混乱と驚きと安堵と怒りとでぐちゃぐちゃになって、何を言うべきかわからないままスタースクリームを見上げる。
 スタースクリームは笑っていた。いつもと同じ、何か面白いものを探して、そしてそれを壊すのを楽しんでいる時の笑い方で。スタースクリームはそっとサンダークラッカーのほうに屈み、聴覚センサーのそばで囁く。
「冗談だよ」
…………
「おいお前ら、そこでいつまで遊んでるんだよ? 何か面白いものは見つかったのか?」
 ちょうどそのとき、下で待機していたはずのスカイワープが、ハシゴのところからひょこりと顔を出した。むすっとした表情で、仲間外れにしやがってと言わんばかりに二機を睨んでいる。スタースクリームはまるで何事もなかったように、すぐに立ち上がってスカイワープに手を差し伸べた。スカイワープがその手を取って、ハシゴを登り切り足場へと降り立つ。
「何も。ただの水しかない」
「それにしちゃ随分時間かかってなかったか? 何か隠してるんじゃないだろーな」
 フン、と不機嫌に腕を組んでスカイワープは言う。するとスタースクリームはちらりとサンダークラッカーに視線をよこす。口の端に、相変わらず微笑みを乗せて。サンダークラッカーは無言でそれを見返してから、ゆっくりと立ち上がり、静かな声で言った。
……本当だ。何もなかった」
「ふーん……
 スカイワープは口をへの字に曲げて、サンダークラッカーの顔をじいっと睨む。胡乱げに細められたオプティックは、サンダークラッカーの表情から何かの手掛かりを拾い上げようとしている。サンダークラッカーは表情を消したままその疑いの目をただ受け止めている。
 そして不意に、ふっとスカイワープの纏っている刺々しい雰囲気が消える。
……ま、お前がそう言うんなら、そうだったんだろうな」
 そう言って、スカイワープは片腕を上げて伸びをしながら欠伸をした。それから眠そうに目をこすり、空を指差して言った。
「ここ、ちょうどよく見えるんじゃね? 超新星爆発」
「ああ、そだな」
 星が死ぬひとときのきらめき。最も安定する元素を合成し終えたとき、星は自らの重力に耐えきれず内に向かって崩壊し、爆発する。その過程で本来ならば生み出せなかったさらなる重元素を誕生させながら、星の欠片は宇宙の彼方へ飛び去っていく。やがてばらばらに散ったその欠片はそのわずかな重力によって少しずつ引かれあい、途方もない年月をかけてもう一度星を形作るのだ。
「アイアコンの詩人が言ってた」
 サンダークラッカーは静かに手すりに腕を載せ、ガンマ線を放出し燃えるように輝きを増し始めた死にゆく星を眺めてささやく。
「俺たちは皆死んだ星の欠片だって」
「なんだそりゃ。俺たちは死骸のなれの果てだってことか? きもちわりいな」
 スカイワープが顔をしかめるのを見て、彼の隣に並んだスタースクリームがくくっと笑った。
「情緒もクソもねえこと言うなよスカイワープ」
「だってほんとに気持ち悪いじゃん」
「はは。そういうとこ、お前らしいけど」
 スタースクリームはまだくすくすと笑っている。スカイワープはそんなスタースクリームを不可解そうにじっと見つめてから、ふふっとつられるようにして笑い出した。今の笑いが、スカイワープを馬鹿にしてこみ上げているものではないとわかったからだろう。それから、たわいもないことを言い合いながら空を見上げてあれこれと星の死について話すのだった。
 サンダークラッカーはそんな二機の横顔に目をやりながらぼんやりと考えていた。
 もし、さっき、スカイワープが登ってきていなかったら。
 スタースクリームは、自分のことを本当に突き落としただろうか。
……なあ、サンダークラッカーはどう思う? サイバトロン星もああやってバラバラになって跡形もなく消えちまう日って来るのかな」
 不意にスカイワープがこちらを向いてそんなことを聞いてきたので、サンダークラッカーは思考をその場に戻すと、彼に向かって微笑んだ。
「少なくとも俺たちが生きてる内にはそんなこと起こりっこねえよ」
「ほらそう言っただろ? お前が先のことを心配しすぎなんだよ」
「だってよお」
「わざわざ自分の星をぶっ壊すようなマネでもしないかぎり、サイバトロン星は滅びねえよ」
 スタースクリームが子供扱いするようにスカイワープのヘッドパーツをなでると、スカイワープは迷惑そうにそれを振り払う。その反応にスタースクリームはまた愉快そうに笑い声をこぼした。
 しばらくそうして天体観測を続けていたが、やがてスカイワープが大きな欠伸をしてオプティックをのろのろとこすった。もう帰ろうぜ、と眠そうな声で言われれば、眠気は瞬く間に他の二機にも伝染し、たいした反論もなく彼らは部屋に戻ることにした。
 行きと同じようにそろそろと三機で非常灯の光を何個も通り過ぎ、時々スカイワープが大きな声を出してサンダークラッカーが注意する。幸い、今度も誰にも出くわすことなく無事に彼らの暮らす部屋まで戻ってくることができた。静かな駆動音を立ててぐっすりと眠りこけているルームメイトたちを慎重にまたいで、スタースクリームたちはそっといつもの空きスペースに機体を滑り込ませて横たわる。
「じゃ、おやすみ」
「おー」
「おやすみ」
 寄り添って小さな声で挨拶を交わし、三機はアイセンサーの感度を落としていく。真っ先に寝息を立て始めたのはスカイワープだ。それほど間を置かずスタースクリームもすうすうと眠りの世界に入っていった。最後まで起きているのはサンダークラッカーだったが、その彼も、うとうととまどろみ始めていた。
 消灯された部屋の中はとても暗いが、感度を鈍らせていてもアイセンサーは同じ顔をした同型機たちの姿をうっすらと捉えている。あのタンクの中の闇はこんなものではないのだろうなとサンダークラッカーは思った。自分の身体さえ見ることのできない真の闇に閉ざされ、ゆらめく液体に囲まれて、ただただ一筋の光が差すのを待ち続ける。たった一人闇の中で。それはいったいどんな気持ちがするのだろう。考えている内に、サンダークラッカーは夢を見始めていた。センサーが意味をなさない虚無の中にサンダークラッカーはいる。見渡すかぎりの永遠の闇が、サンダークラッカーを取り巻きゆらゆらと波立っていた。そしてサンダークラッカーは、少しずつ自分が壊れていくのを感じながら、彼が現れるのを待っている。遙か頭上で重い金属の蓋がゆっくりとスライドし、白く光の差す楕円の枠の中、ほほえみを浮かべたスタースクリームの影が見えるそのときを、いつまでもいつまでも待ち望んでいる。そんな夢だった。